入院している旦那さんのもとにしゃちょうがお見舞いに来てくれた。
この人、しゃちょうという呼び方はしゃちょうがしゃちょうでない時から知り合いであったわたしとしてはあだ名のようになっているけど、実際に旦那さんとわたしにとっては所属会社の社長である人だ。会社を設立し、代表となり、普通の会社ではどうにも辛くなってしまうわたしたちに仕事の場と機会を作ってくれる恩人だ。旦那さんはしゃちょうを真に尊敬しているけれども、わたしにかかるとしゃちょうという呼び方があだ名に聞こえるくらいには尊敬の念が足りていないらしい。
日差しの明るいデイルームに移動して、3人でおしゃべりをしたのだけど、なんと2時間もの間、しゃちょうとわたしがひたすらしゃべっていて旦那は静かに聞いているだけという、いつもの、でもおそらく普通から見れば不思議な状態。しかもおしゃべりの内容は、わたしが最近始めたパズドラの話(旦那はやってない)と、最近読んだ本、読みたい本の話など。会社や仕事の話をする良いチャンスだったのにそれすらほとんどせず、後から考えるとなんだかもったいない面会時間の使い方だった。
パズドラはランク700越えのしゃちょうや、ランク400越えの弊社新人君に、はじめたばかりのわたしがフレンド申請したという状態なのだけど、新人君に申請した時点でのわたしのメインキャラがタイタンだったことで、社内で話題になっていたということをこの日聞いた。
タイタン。ごく初期のダンジョンでまれに手に入るモンスター。わたしは一発で手に入り、めっちゃ主戦力にしていたのだけど、ごくごく初級でしか使えないキャラのようで、はるか彼方にいる彼らからすると笑えるチョイスだったようだ。
新人君「アオドリーさん、なんかタイタンなんですけど・・・w」
しゃちょう「え?タイタン・・・?w」
こんな会話をしゃちょうに再現されたのがおかしかった。
会社代表と新人とが同じゲームの話をしていて、育休中で何ヶ月も会社に顔を出していないわたしがその様子をおもしろおかしく知ることができて。
ものすごく平和で恵まれてるなあと思った。
旦那さんのお見舞いだというのに、旦那さんがまったく知らないゲームの話で盛り上がる2人。静かに聞き役にまわる旦那さん。更に話題はわたしが読みたい本をしゃちょうから借りる約束をする話へと移り、やっぱり旦那さんは静かに聞き役。
思えば旦那さんとわたしがまだつきあいはじめの頃、会社のみんなでゲーセンに遊びに行ったときも、わたしがあれやりたいこれやりたいと次々と移動してゲームをはじめるのに対し、旦那さんはずっとわたしの後ろについてまわって画面を見ているだけだった。そんな様子を見たしゃちょうがなんだか感嘆していたことを思い出した。
わたしをお守りし、たくさんの後輩たちを導くけれども、自分の主張をめったにせず、静かに見守る人。
期待しているのかすべてを諦めているのかもよくわからない。だからわたしのような人の気持ちに鈍感な人間が気にせずいつまでもついてまわる。彼がどのような気持ちの変化を経た結果なのかすら謎だが、10年かかってわたしたちは結婚した。
結婚するまでは、言うまでもなくわたしがひたすら結婚して欲しいと主張し、彼は静かに聞いているだけだった。
わたしの主張はこうだ。
わたしはあなたのことが好きなので、一生一緒に仕事をしたり食事をしたり遊びに行ったりし続けたい。
しかし今のままでは単なる恋人同士で、何かあったときに悲しいことになる。
よってわたしとしては家族になりたい。そのためには結婚したい。
結婚せずに家族になってもいいけど、地道かつ継続的な根回しが必要で面倒だよ。
あともし子どもが欲しいならやっぱり結婚したほうが良いし、順番を守りたい。
どっちでもいいから、どっちか早く決めて教えて。
選択肢は結婚せずに一緒にいるか、結婚して一緒にいるかの2択ね。
別れるという選択肢は最初から提示しなかった。そうすると困ってしまった彼はずいぶん決断に迷ったようだけれども、結局結婚の方向に舵を切ってくれた。
舵を切ってくれただけで、特にプロポーズとかはなかったのがまた彼らしい。
そして、結婚したおかげで、今、彼の病状について説明を聞くのも、手術の同意書にサインをするのもわたしだ。婚姻届よりも、はるかに結婚の実感をかみしめた署名だった。
彼がなかなか結婚してくれない!そんなあるあるカップルを10年続けてきたわけだが、タイトルの「なぜ結婚できたのか」、それはわたしにもよくわからない。
運ともいえる。ていうか運だ。ラッキーだ。
ただ密かに、でも自信を持って言えることは、このことだ。
諦めず、急かしすぎず、もちろん試すようなこともせず、ずっと彼の決断を待っていたわたし、よく粘った!えらい!
もちろん、何年付き合いが続こうが、彼に好きな人ができて、わたしがフラれたらそこで終わりなわけだけど。
そんな可能性を不安にせずに待っていられたわたしはやっぱりえらいのだ。わたしが彼を好きなことと、彼が誰かを好きになることとは関連性はないのだから、わたしが悩むべき事柄ですらないのだ。わたし自身が他の人を好きになる可能性だってなくはないのだから、わたしの分が悪いわけでもない。
今日の記事は、こんな記事を読んでなんとなく思ったことをつらつらと書いた。
papuriko.hatenablog.com