Still Life

生活の記録。

20年ぶりくらいの茂原七夕祭りと実家の居心地についてうだうだ

長年通っている眼科が千葉にあります。
今も3ヶ月に一度、横浜から通って診てもらっています。この前の金曜日がその検査の日でした。
眼科の日は、2歳児の保育園もお休みにして一緒に千葉に行き、茂原に住む実母と落ち合って孫を見てもらいながらわたしが検査を受けるのが最近の習慣です。

母からは毎回のように、検査後みんなで茂原に戻って1泊するよう誘われます。仕事がある、本社に寄る、翌日の予定がなどなにかと理由があってなかなか実現できずにいましたが、今回は、久しぶりに1泊することにしました。

茂原はこの時期、市をあげて七夕祭りを開催します。今年は20年ぶりくらいに開催中に帰省することができました。


駅前の、「元」茂原そごう。七夕飾りが翻る下で、「テナント募集」の文字が飾られる雑居ビルと化している。そごうの時は毎時間人形が踊る巨大な仕掛け時計が、数字と針だけむしり取られた文字盤をさらけ出しているところなども物悲しいけどその写真は撮らなかった。


七夕祭りの中心の通りはそれでもかなり賑わっていた。金曜日はたいへん涼しく、歩くには最適の午後だった。

土曜日はちょうど帰る予定の時間帯に雨が降り出してしまい、台風12号が心配なので、もう1泊して日曜の昼前に戻って来ました。
2泊もしたのは何年ぶりだろう。2泊も実母に甘えてたいへん世話になりました。わたしは謎のアレルギー症状が出て持参の風邪薬を飲み、ずっとごろごろしていましたが、2歳児はわたしの古いぬいぐるみなどを引っ張り出して楽しそうにしていました。
このくしゃみと鼻水は、そのぬいぐるみからの積年の埃ではなかろうかとは思うのですが、母も2歳児もなんともなさそうなのでやはり謎なのです。

当たり前のことではあるのですが、実家といっても20年以上も離れていると勝手知ったるというわけにはいかず、完全にリラックスできるわけではありません。しかも、「実家なんだからリラックスしているはず」という妙な暗示がかかって余計に疲れる気がします。
長年この妙な疲れが謎だったのですが、ずいぶん前に読んだトピシュさんのこの記事が、長年の疑問の一端を解決してくれました。

topisyu.hatenablog.com

普段から自分が住環境の改善に加勢していないのだから、居心地の良さが違うのは当たり前。これを忘れてむやみに不満に思ったりするのはナンセンスなのです。

こうして今一人で思い出していると、あの広い家で一人暮らししている老母にはちょっと酷なことを言ったのではと反省モードになります。
冷蔵庫にぎっしり詰まった食材に「3人家族のウチより食材多いw」とか。それだけではなく実例まで添えてしまいました。お腹の調子が悪いとあらかじめ伝えていた2歳児のために用意してくれていたかぼちゃスープがもう酸っぱくなっていて、ほとんど飲まずに捨ててもらう結果になりました。
母は「毎日たくさん捨ててる」と弁明していたけど、作ったのに食べられずに捨てる辛さは、子供に巣立たれ夫に先立たれて一人になった母にとって、普段のわたしの失敗の比ではないでしょう。

棚にしまいっぱなしになっているわたしの古いぬいぐるみを引っ張り出したことでわたしがアレルギーを起こしたところで、母はそんな責任は負えないのです。わたしも責めるようなことを言ったつもりはないのですが、今となってはちょっと自信が持てません。

自分の部屋に残っているモノを全て自分が処分するくらいの行動を発揮した方が良いのかもしれません。学生時代など、「要らないものは全部実家に送る」ということをし続けていた時期があったのです。そういう時代があったことが悪いとも思わないし、口では「全部処分していい」とは言っていましたが、今、老母に向かって「全部処分して」と言うのはちょっと違うでしょう。今更とも思いますが、実家に残っている自分のモノについて、時期を見て母や兄に相談しようと思います。